史跡散策マップ

黄泉の道

小郡市内では400 基以上の古墳が見つかっています、中でも注目されるのは三国丘陵にある古墳時代前期の津古古墳群です。鶏型土製品(にわとりがたどせいひん)が出土した津古生掛(しょうがけ)古墳をはじめとする一連の前方後円墳4基は、当時この地域が非常に重要な場所であったことを表しています。

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<距離・時間> 約6.7Km・2時間30分

 

1−津古(つこ)1号墳

津古1号墳

  • 案内

4世紀前半に造られた全長42mの「前方後円墳(せんぽうこうえんふん)」です。昔は隣に同じ前方後円墳である2号墳と、「方墳(ほうふん)」である古墳3号墳がありました。こちらは4世紀初頭に造られたと考えられます。津古1号墳は、発掘調査が行われていないので、どんな人が埋葬されているかについてはわかっていませんが、古墳時代の初め頃この地域で非常に大きな権力を持っていた人物だろうと考えられています。

 

2−津古生掛古墳

津古生掛古墳

3世紀末頃に造られた全長33m の前方後円墳です。小郡市で見つかっている古墳の中では、最も早く造られたものになります。死者を葬った「主体部」と呼ばれる施設には、赤い顔料がふりまかれており、鉄鏃(てつぞく)や鉄剣、ガラス玉、鏡が副葬品(ふくそうひん)としておさめられていました。墳丘のくびれた部分からは、鶏型の土製品が3点見つかっています。鶏冠(とさか)や嘴(くちばし)などが非常に写実的に作られたこの鶏は、古墳で行われた祭祀(さいし)に関わるものと考えられます。津古生掛古墳は、発掘調査ののち宅地造成によって壊されてしまい、現在では見ることができません。

3−三国の鼻1号墳

三国の鼻1号墳

  • 案内

4世紀後半に造られた全長66m の前方後円墳です。小郡市で見つかっている古墳の中では最も大きく、津古生掛古墳、津古1・2 号墳、津古3号墳と変遷する津古古墳群の中で、最後に造られたものになります。現在は原田駅大崎線(宝満川浄化センターのあたり)になっており、古墳はなくなっています。盗掘を受けていたため、死者の埋葬施設や副葬品などについては不明ですが、鏡、管玉などがわずかに発見されています。墳丘は「二重口縁壺」(にじゅうこうえんつぼ)をずらりと並べて飾られていました。この古墳がある場所は、西からのびる丘陵が平野に鼻のように突き出した非常に見晴らしのいいところで、当時の人びとにとっても重要な場所であったと考えられます。

4−井の浦1号墳

井の浦1号墳

  • トイレ

6世紀後半に造られた、横穴式石室(よこあなしきせきしつ)を持つ直径23mの円墳(えんぷん)です。まわりには、細かい溝がめぐらされていました。石室やその周辺から、耳飾りや石製の玉類のような装飾品、土器などが見つかっています。


5−横隈山古墳

横隈山古墳

  • 案内

5世紀中頃に造られた全長36m の前方後円墳です。本格的な発掘調査は行われていないので、正確な大きさや埋葬されている人物についてはわかっていません。古墳の上や周辺では、円筒埴輪(えんとうはにわ)や家型埴輪(いえがたはにわ)のかけらがたくさん見つかっています。この埴輪は小郡高校の南隣で見つかった三沢蓬ヶ浦(みつさわふつがうら)遺跡の埴輪窯で焼かれていたことがわかっています。

 

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